学びの多様化地方議員連盟の勉強会で、塩瀬隆之先生のお話を伺いました。

リアルタイムでは都合がつかず、アーカイブ視聴ですが。
塩瀬先生は、コミュニケーションロボットの学習の研究や経産省の官僚など特異な経歴を経て、インクルーシブデザイン、子どもの学びに関わっておられ、その中で岐阜市の公立の学びの多様化学校(当時は不登校特例校)草潤中学校の立ち上げに携わられました。
専門的な知見で本当に深い深い学びとなりました。
メモ書きですが、残しておこうと思います。
草潤中学校のコンセプトは
「ありのままの自分で学ぶ」
「ありのままの君を受け入れる新たな形」
当時の教育長から「不登校の子が仕方なく行くんじゃなく、不登校になってでも行きたいくらい理想の学校を」と相談され、塩瀬先生の答えは、
「バーバパパのがっこうしかありません」

※話の内容を塩瀬先生のスピーチより抜粋↓
フランスの小学校のお話なんですけれども、学級崩壊が起きそうなときに、親御さんや市長さんが、「おまわりさんをつけてでもいいので、学校にしばりつけて勉強をさせないといけない」と言いだすところからスタートします。それを見かねたバーバパパが、皆を森の学校へ連れ出します。
バーバパパには個性豊かな家族がいるので、子どもたちの好きなことに合わせて、いろんなことを教えることができます。歌を歌うのが好きな子ども、自然観察が好きな子ども、機械いじりが好きな子ども、みんなそれぞれ夢中になるものが違います。
好きになったことを突き詰めると、その先に分からないことがあっても、さらに知りたいと思えるのです。その瞬間こそが、まさに勉強したいと思う瞬間で、このときに学校の先生が戻ってくると、以前と同じ算数の授業をしたとしても、子どもたちの食いつき方が違ってきます。そのような瞬間こそが、子どもたちにとっての学びの場なのです。
●令和5年に文科省が不登校特例校の呼び名を「学びの多様化学校」に変更しました。
その時に、不登校の子の学びだけを多様化するのはどうなのか?という声もあったそうで、
塩瀬先生の考えとしては、
不登校の子の学びをまず多様化して、それを皮切りに全ての学校を多様化出来れば、
インクルーシブデザインの手順そのものになる。
●インクルーシブデザインとは、インクルーシブ教育とは別の言葉。
できない(disable)と考えるのではなく、できなくさせられている(disabled)と考えて
環境や制度の改革を目指す

●学校のルールに生徒が常にあわせることも暗黙の前提に立っていないか?
学校も社会のルールに従う練習の場だから生徒は暗黙の前提に従うべきと勝手に思い込んでいないか

●教室も時間割も通信簿も、先生が「教えやすい」ために効率化されている。
生徒が「学び続けやすい」ことを第一義にするとどんな方法が考えられるのか
↓
選択肢を充分に用意するにも限界がある。
自分の選択を正解にしていく力が大切

●理想の学び場の主体的選択の可否
「学びたいときに 学びたいところで 学びたいことを」いかにしてデザインしていくか
↓
時間割(時) ・ 教室(場所) ・ 教科(内容)


●なぜ多くの学校では、先生の評価を疑問を持たずに受け入れることが当たり前なのか。
ワークショップで兵庫県の公立高校の子がいて、その学校は外国籍の子と帰国子女が多く、テスト返しの時に、教卓の前に生徒がずらっと並ぶそう。国語など自由筆記などの答えで、腑に落ちない時に生徒も引き下がらない。
日本人は、納得がいかなくても黙って受け入れることを良しとする。
普段からおかしいと言えなければ、言いたい時に言えない。
草潤中学校で、普段から先生と話せる関係性を作るにはどうしたらいいんだろう?
かしこまった職員室、校長室では出来ない。
職員室や校長室で弁当を食べながら話す。言いやすい関係性づくり。
●生徒がまた広げて見たくなる通信簿とはなんだろう?
「わがまま通信簿」
生徒も見て欲しいところの枠を広げる。先生と生徒で見たいところと、見て欲しいところの割合を決めていく。
我が儘でいられないような状況が良い子となっている
自分を主張できるということは、本来、我をそのまま出せること。
主体性、自主性につながってくる
自分を封じ込めた上で主体性を求めるのはおかしな話
言葉を探していて、「あるがまま」という言葉に行き着く
●条件を満たされないと承認されないのではなく、「あるがまま」でいられることの大切さ
「子どもが学校にあわせる」を辞めて、
「学校が子どもにあわせる」へ転換。
●多様性が大前提で、その中で共通性を見出していく

●次期学習指導要領での調整事業時数制度(裁量的な時間)
導入背景は、
★子どもたちの「多様性」
★先生の「余白の創出による質の向上」
時数調整の目的を忘れずに、多様化に有効活用してもらいたい。