●登壇質問●
教育課程の基準として文部科学省が告示し、およそ10年ごとに改訂している学習指導要領ですが、
現在の学習指導要領は、小学校で2020年度〜、中学校で2021年度からスタートしています。
今回の学習指導要領は、「生きる力 学びの、その先へ」というテーマのもと、
願いとして、
「これからの社会が、どんなに変化し予測困難になっても、自ら課題を見付け、自ら学び、自ら考え、判断し行動し、それぞれに思い描く幸せを実現してほしい」とあり、
「生きる力」を育むための指針として、主体的・対話的で深い学び、いわゆるアクティブラーニングの方向性が示されています。
これまでの学校教育は、
大学入試、高校入試があり、そこでいい点数を取らなければいけない、という理由もありますが、
テストで正解すること、テストでいい点数を取ることを目指す傾向があったかと思います。
それゆえ結果的に、「学力を上げること」が目的化されていたようなところもあるのではないでしょうか。
ですが、社会に出たら、正解がありません。
答えが1つじゃないわけです。
さらに、これから多くの仕事を人間に変わってAIがするようになり、地球環境もどうなるか分かりません。
さまざまな世の中のシステムや在り方が大きく変化していきます。
まさしく予測困難な時代。
これからの学校教育の目標は、
そんな予測困難な社会でも生きていけるような「生きる力」を身につけることであり、
学力を上げることは、目的ではなく、そのための手段であると、
今の学習指導要領からも読み取れます。
正解を大人から教えられる受け身の生き方ではなく、これからの時代は、
「自分で考え、行動して、決定する」ということを繰り返しきた子どもが生きていける。楽しく生きていける。
と私も共感しているところであります。
「生きる力」を育てるための主体的・対話的で深い学びは、
これからの社会に適した指針でありますが、
今回、学ぶ内容というよりは、学び方が変わったことで、教育現場では試行錯誤しながら、取り組んでおられることと思います。
私たち今の大人の世代は、学生時代にそういった学び方をして来なかったこともあり、先生方には戸惑いもあるのかとお察し致します。
新しい学び方、「主体的・対話的で深い学び」を実践するため、匝瑳市ではどのように取り組まれているでしょうか?
進める上で課題があれば併せて教えてください。
【回答】
匝瑳市学校教育指導の指針の一つとして「主体的・対話的で深い学び」による生きる力の育成を努力事項としております。
具体的な取り組みとしましては、千葉県教育委員会の「思考し、表現する力を高める実践モデルプログラム」を活用した授業の推進、匝瑳市教育委員会訪問での指導、助言を行っております。
また、個に応じた指導の一層の充実を図るために、学習支援補助教員を配置しております。
コロナ禍の制限された授業形態が解除され、現在では、市内小・中学校において「思考し、表現する力を高める実践モデルプログラム」を活用した授業実践が行われ、見通しをもつ場面や考えを深める場面では、小グループでの意見交換や全体での意見交換、考えたことを共有をする学習活動が展開されております。
また、学習支援補助教員の配置により、一人一人の学習への取組状況や学習内容の理解度を把握し、きめ細かな指導ができることも、主体的・対話的で深い学びの推進に寄与しております。
さらに、ICTを活用することにより、主体的・対話的で深い学びの実現に向けての効果的な学習活動が行えますが、ICT活用指導力向上及び多岐にわたる教材研究を行う時間の確保は課題となっております。
教育委員会としましても、引き続き児童生徒一人一人の主体的・対話的で深い学びの実現へとつなげていくための取組を行ってまいります。
【再質問】
主体的・対話的で深い学びの「主体的」のことですが、
今までは、先生方はいかに分かりやすく、効率的に理解してもらえるように創意工夫してきた‥言ってみれば、サービス提供型的な教育だったと思うんですが、結果的に、子どもたちの授業を受ける姿勢として、受け身になっていたと思います。
受け身の人の特徴として、指示がなければ動けない。
分からない時に教え方が悪いとか、人のせいにしてしまう傾向があるそうです。
そして、社会に出てからも、問題に対しての当事者意識がない。などの問題があります。
これからの文科省の方針として、「何を学ぶかだけでなく、どのように学ぶかも重視」と書いてあるように、これからの学校の役割として、自分が置かれた環境をありのまま受け入れて、その中で何が出来るのかっていうのを自分で試行錯誤しながら「学び方」を覚えていく子どもたちを育てていかなければいけない、と思うのです。
学び方を覚えた子どもたちは、自ら吸収する力を持つようになります。
【質問1】
子どもたちが生きる力を身につけるために、今まさに教育が変わってきている最中だと思うのですが、
この辺の地域(香取、銚子、旭、多古、横芝光など)の小中学生の生徒を持つ保護者から、「この教育改革に期待しているんだけど、なかなか現場は変わっていない。従来型の一斉型の学び方を抜け出せていない」という話を聞きます。
個別最適な学びであったり、協働的な学び、探究学習であったり、画一的な一斉授業から変化してきていると思いますが、
新しい学び方なので模索しながらとは言え、匝瑳市では、順調に着実に進められているでしょうか?
【回答1】
各学校においては、県教育委員会の指導主事を講師として招き、年に複数回の授業研究会や校内研修会を実施しています。それらの研修会を通して学んだことを、授業実践に生かして、個別最適な学び、協働的な学びなどの授業改善を進めているところであります。
私は、教育って面白いなと感じていまして、有名な教育者の方の本を読んだり、講演などをよく聴いたりします。例えば、
20年近く前から公立小学校でインクルーシブ教育をしてきた木村泰子さんや、校則を無くした西郷孝彦さん、学力テストや宿題をなくしたり固定担任制をなくした工藤勇一さん、あとは教育学者で哲学者でもある苫野一徳さん、そういった方々の講演を聞いたり、本を読んだりすると、凄く納得がいくし、面白いなぁ!と思うんです。
それから全国で話題になっている、「夢見る小学校」、「夢見る校長先生」という映画であったり。さらに新しく「夢見る小学校 完結編」ということで、主体的・対話的な学びをした子どもが卒業してどうなったか追いかけているんですが、自分の頭で考え、しっかりと自分の意見を持っていて、ちゃんと議論できる。なんでこんなに自分の考えが言えるんだ?!と大人たちもびっくりなんです。
主体的・対話的で深い学びの答えがあるんです。
ただ残念なのは、こういう多くの保護者から関心が寄せられている映画なのに、先生方は映画の存在すら知らなかったりするんです。
今、名前を挙げた方々も、著名な方々で、先進的な取り組みをされてきたんですが、時代が追いついてきたり、今は国の会議に参加したり、文科省の方針になっていたりする考えをお持ちの方々です。
そういった方々の話って、すごく分かりやすい、面白いし、なるほどなー!とイメージしやすいんです。
ですが、先生方はそういった情報を得る時間的な余裕がおそらくない。
どうにかならないものかと思っているところであります。
【質問2】
子どものためには、先生方の負担軽減も必要かと思うんですが、現状として先生方の労働環境、負担は、どのような状況なのでしょうか?
【回答2】
マンパワー不足により、授業準備や生徒指導対応、保護者対応などで教職員の負担はあると考えますが、市内各校においては、校長のリーダーシップの下、風通しのよい働きやすい職場環境を醸成するなど、働き方改革を着実に推進しております。
忙しい中においても、子供たちとの日々の触れ合いや子どもたちの成長の姿を間近に感じられること、そして、議員の皆様にも参列していただいた卒業式などの行事においては、何物にも代えがたい感動を得ることができると考えております。
【質問3】
加賀市が、子どもを主体とした教育をしてきた人材を募集していたり、名古屋市は何人かの教員をオランダまで研修に行かせたりしているみたいなんです。
そこまでは難しくても、匝瑳市や海匝地域で、子どもを主体とした教育されてきた方を講師に招いて、講演していただいたり、研修みたいなものを開催すると先生方も具体的なイメージが分かって、取り組みやすいと思うのですが、そういった取り組みはされているのでしょうか?
【回答3】
匝瑳市においては、若手教員対象の「そうさ若手教員げんき塾」や中堅教員対象の「ミドルリーダー研修会」において外部講師を招いて研修会を実施しております。また、海匝地域においては、全教職員を対象に各研究部会に分かれての、研修会を年に5回程度実施しております。その中で、毎年、最後の研修会では全教職員を対象に教育、医学、スポーツ、芸能など各界で活躍した著名人を招いての講演会を実施しております。
→対話的な学びがなぜ必要か?
これまで日本の教育ではどちらかと言うと、協調性や社会性を大事にされてきたと思うんですが、
もちろん大事なことではあるものの、社会性や協調性が大事だと教育されればされるほど、
そんな狙いがなくても、どうしても主体性を失い、画一的な人間、社会が必要とする規格に押し込んでしまう部分があったと思います。
SDGsで示されたこともあり、今まさに世界は多様性を認める社会、誰一人取り残さない社会を目指していると思います。
これから世界が目指す、多様性を認める。「みんな違っていい」ということは、違う個性を認め、受け入れ、
「”でも”同じ世界で共に生きていかなければいけない」
そこには、上手くやらなければ、対立が生まれます。
対立をどう解決していくか?
そこで必要になってくるのが、「対話」だと思うんですね。
そして、その練習の場が学校、であると。
練習の場でもあるし、学校も1つの社会だとも言えます。
対話をするには、まず自分の意見を持たなければいけないし、自分の中で考えれば考えるほど、他の人の意見を聞いた時に、なるほどなー!と自分の考えをアップデートできると思うんです。
他にも学校では、日常の小さなことから学校行事のことなど、
さまざまな考えがある中で、1つの方向性を決めなければいけない場面がたくさんあります。
対話をし、考えの違う人の意見を聞きながら落としどころを決めていかなければいけない。
対話を重ねることが人間形成や、民主主義の社会で生きていくための訓練にもなると思うんです。
先進的に対話を重視してきた学校では、
対話をする際にお互いが納得できる上位目標を設定するそうなんです。
わかりやすい例えで言うなら、
文化祭の催しを決める時に、劇をやりたい人とダンスをやりたい人がいました。
どちらも譲れない気持ちがある。
そんな時に「少数派を切り捨てない」というお互いが納得できる上位目標を共有し、対話をします。
自分のやりたいことや、どうしてもやりたくないことがある中で、落とし所として、「ミュージカル」という案が生まれる。
芝居をやりたい人もダンスをやりたい人も満たされ、表に出たくない人は音響や照明にまわる。上位目標に向けて、対話によって、合意形成できた結果です。
そういったことを学校で何度も何度も繰り返していくと、対話力が身に付くそうです。
つまり、問題解決力が養われるんですね。
多数決で決めれば早いですが、少数派の意見は切り捨てられます。そして、多数決というのはある意味で、対立をそのまま放置することになります。
問題解決力も養われません。
他にも、子ども同士がケンカした時に、一般的には、どっちが正しいとか悪いとか大人がジャッジして謝らせたりしがちだと思うんですが、
ケンカした時に、子どもたちはそれぞれ事情があって、相手を許せない気持ち、あるいは殴りたい気持ちが抑えられない。
それは分かった、と受け止める。
でも、明日も殴り続けたいのか?と聞くと、どちらも「それはしたくない」と言うそうなんです。
じゃあ、そこに共有できる目標があるなら、そこで手を結ぶ、目指すことは出来るんじゃない?
と促すと、本人たちは本当の気持ちの部分を話しながら、対話を通して、目標のために自分がどういう行動をとればいいか、自分たちで答えを導き出すそうなんですね。
怒りの気持ちの部分を否定されず、でも本人同士が問題の当事者となって対話し、合意形成が為されるから、お互い納得できるそうなんですね。
ちょっと大きな話になるかもしれませんが、
イスラエルの子どもとパレスチナの子どもが対話をするドキュメンタリー映画があるんです。
20分ほどの距離に住んでいる子どもたち。
「戦争に勝者なんていない。みんな敗者だよ」と、12歳くらいの子どもたちが、この争い、対立をどうにかしたいと思っているんです。
まず、アラブ人の子どもたち同士、ユダヤ人の子どもたち同士で話し合います。
「いつまで争いを続けなければいけないの?対話が必要だよ」
「対話しても分かり合えっこない」、「私たちは子どもよ!政治家じゃないわ」
「親しくなる必要はない。小さな和平プロセスだよ」と、12歳前後の子どもたちが真剣に対話するんです。
中には兄弟を相手の軍に殺された子もいます。
それでも、争わずに済む未来を自分たちで切り拓こうとするんです。
→
社会にはたくさんの課題や、行き詰まった対立があります。
そういった対話による問題解決能力の高い世代が社会に出てきたら、どうなるでしょう?
一言で言うなら、私は、「希望」だと思います。
私は、教育によって、世の中が良い方向に変わっていく、自分たちで良い方向に変えていく。
そうなっていくことを期待しています。
「主体的・対話的で深い学び」。短い言葉ですが、実は人として生きていく上で当たり前に必要なことであり、これからは、より必要になってくるんだと思います。
今、全国でも積極的に教育改革に乗り出している自治体が増えていますが、石川県の加賀市が、教育ビジョンとして「自分で考え、動く、生み出す、そして社会を変える」というのを出していて、内容がピタリと共感出来たので、読ませていただきます。
【加賀市の教育方針】
なぜ今、教育を変えるのか?
「常識や前提にとらわれず、ゼロからイチを生み出す力」
「問題発見力」「課題解決力」「革新性」
これからの時代に求められる力です。
これからは、「人と違うこと」が強みになる時代になります。
旧来型の画一的な教育は、均質な人材育成に寄与し、高度経済成長に大きく貢献した一方で、
同調圧力を生みやすく、人との違いが目立ち、失敗することを嫌い、
クリエイティブな発想や個性が発揮しづらい環境を生み出したことも事実です。
次の時代が求める力を生み出す環境をは真逆にある状況です。
そして、子どもは「一人ひとりみんな違う」ということ。
同じクラスにいても、学びのスピードも、興味関心も、得意不得意も、特性もみんな違います。
「みんな一緒に」「みんな同じことを」「同じ方法で」の学びは限界に来ています。
凸凹の凹を克服することばかり強いていると、学びの楽しさには出会うことができない。
自分はこれが好き、これは得意、自分にはこんないいところがある。
子どもたちが、自分で考え、動き、そして、他者と学び合う。
そうやって、子どもたちが、好奇心いっぱいで、夢中になれる時間を増やしていきたい。
そろえる教育 から 伸ばす教育へ
一人ひとり、それぞれの可能性を最大限開花させる教育へ
そして、子どもの「今」も「未来」も幸せにする。
そんな教育を、加賀市は本気で目指していきます。
教員の方々の処遇改善や教育現場には解決しなければいけない問題がありますが、
子どもたちの「今」という時間は待ってくれません。
教育委員会や学校に問題を押し付けるつもりはありませんが、
課題がある中でも、保護者や地域、市民が、知恵を出し合い、力を合わせて、予測困難な時代に子どもたちが「生きる力」を身につけられるように環境を整えていかなければいけないと思うんです。
課題があろうが、それでも変えていく大人たちの本気度が試されているような気がするんです。
子どもたちが自分の頭で考え、自分で判断し決定し、行動する。社会の当事者となり、人それぞれいろんな考えがあって面白いね、考えが違ってもお互いの自由や利益を損ねることなく、対話をし、合意形成し、平和的に生きていける道筋を探していく。
そんな経験を積みながら、「学校が子どもたちにとって、興味のあることが少しでも社会と繋がって、こうやったら私は大人になれるのかな、ていう希望が持てる場所であって欲しい」と、私は願っています。