●登壇質問●
学校食育菜園と呼ばれるエディブルスクールヤードは、
1995年にアメリカ・カリフォルニア州バークレーの公立中学校から始まった菜園学習プログラムで、持続可能な未来を築く教育手法として注目され、現在では世界で6200校以上の学校が取り入れ、日本でも各地に実践している学校があります。
エディブルスクールヤードでは、〈必修教科+栄養教育+人間形成〉の3つをゴールとし、各々の学習目的を融合させたガーデンとキッチンの授業があり、そこには、持続可能な生き方、自分を含めた自然界の命のつながりを理解する知性と、自然環境を大事にする感性を子どもたちに身につけてもらうため、
「farm to table」菜園から食卓をテーマに、学校内にある畑に種を蒔き、野菜を育て、収穫し、調理して、食べる、一連の流れを通して学んでいきます。
野菜を育てる菜園には、花の受粉を助けるミツバチ、有機物を分解する小さな虫や土を豊かにするミミズなどの土壌生物がいたり、コンパニオンプランツが有益な関係で共生しています。多様な生き物がいる畑では、無駄な生き物はおらず、全ての生き物がそれぞれ役目を担い、絶妙なバランスを保ち、成り立っています。それは、「小さな地球」そのものです。
そんな多様な命を育む菜園にタネを蒔く。自ら蒔いたタネが芽を出し、生長を見守り、収穫する。自らの責任で野菜を育てられれば、生きる自信になります。自己肯定感も高まるでしょう。そして、大豆を育てたなら、味噌や豆腐を自分たちで作る。その味は格別に美味しく感じること間違いなしです。
そして、野菜クズは、土に還し、その土がまた次の野菜を育てる。
その循環の中に自分がいることを、体験を通して感じることが出来ます。
人として生きることの真ん中にあるのは、食べること。
野菜を育てることは、地球の自然の命の循環(サイクル)にのっとった科学であり、不測の事態に対応するレジリエンス(しなやかな強さ)を高める作業でもあるため、本来、教育と親和性は高いと言えます。
日々の暮らしの中で、目の前の食べ物は、どこからやってきたのか。
どんな環境でどんな人たちの手で育てられ、運ばれ、どんな思いで調理され、テーブルに並んでいるのか。思いを巡らせることはあるでしょうか?
食べ物やいのちの繋がりに想いを馳せる想像力や、本質を問う思考力と行動力を育むことで、本当の意味で持続可能な未来を作る、大きな力になると私は考えます。
自分の命をつくっている食と自然の循環のつながりが、すべての子どもの日常になったら、どれだけ人生が、そして世界が豊かになるでしょうか。
匝瑳市でもエディブルスクールヤードを取り入れてはいかがでしょうか?
【回答】
エディブルエデュケーションは、植物を育て、調理し食べる体験を通して、命のつながりを学び、人間としての成長を促す教育と理解しております。
市内小学校では、1、2年生の生活科で、野菜の苗を植え育てる学習を行っており、一例として、サツマイモを栽培する活動があります。枯葉を利用した土壌づくりから始まり、収穫したサツマイモを調理し食べるまでの学習を行います。また、収穫したサツマイモのつるを使い、クリスマスリースづくりなどの制作活動も行っています。
また、3年生以上で学習する「総合的な学習の時間」の中でも、一例として、5年生の米作りをする活動があります。地域の方をゲストティーチャーに招きいろいろ教えていただきながら、田植え、稲刈り、田んぼの草取りもおこなっております。収穫後に、自分たちで育てたお米を炊いて食べる活動は子どもたちに好評です。
議員にご説明いただきました「エディブルデュケーション」の取組については、市内校長会などを通して各小学校へ周知したいと考えております。
●再質問●
〜逆輸入的な話〜
まず、エディブルスクールヤードというと、海外発祥のもので、アメリカナイズする気かと思われる方もいるかも知れませんが‥ついでにもう1つ紹介させてください。
1970年代にオーストラリアで生まれたパーマカルチャーというものがあります。
永続的なという意味のパーマネントと、カルチャー文化、そしてアグリカルチャー農業の3つの言葉を合わせた造語で、
「人と自然が共に豊かになるような関係を築いていくための持続可能なデザイン手法」です。
例えば、水です。
雨水や山の水を使い、藻などの植物の力や、砂を使って浄化させて生活水として使い、そのまま排水するのではなく、敷地内でまたバイオジオフィルターで綺麗にしながら水生植物や水生の生き物の棲み家を作り、ゆっくり綺麗にしてから外へ排水する。
排泄物や生ごみも堆肥化して、作物を育てるためのエネルギー源にして有効活用します。
現代的な生活ですと、水は遠くから運ばれてきて、また遠くに運ぶ。しかも薬剤処理もしなければいけない。
排泄物もそうですし、水を含んだ生ごみは燃やすために大きなエネルギーを使います。
便利でありがたいことなんですが、運ぶのにも処理をするのにも、そして設備を維持するのに、実は大きなエネルギーを使っています。
ですが、本当は、水も有機物もさまざまな命を育てるエネルギーになるんです。それを実は、わざわざお金と労力を使って捨てています。
パーマカルチャーでは、本来の循環の中に人間の暮らしを組み込むことで、人間も暮らしやすくなるし、他の生物も棲みやすくなって、お互いが豊かな関係になれる。そのために空間的、時間的なデザインをしていく持続可能な暮らしのための手法で、世界中に広がっているんですね。
で、実はこのパーマカルチャー、昔の日本の里山の暮らしがモデルになったと言われています。
他にも、ミニマリストという言葉だって、世界中に広がった価値観ですが、質素だけど豊かに暮らしていた日本の暮らしそのものですよね。
そして、去年の秋頃、エディブルスクールヤードの創始者が来日されました。自然が豊かで、その土地で、その時期にしか採れない旬の食材を使い、丁寧に作られたもの、和食の素晴らしさに触れ、大変感銘を受けて帰られました。日本の朝食が世界で一番美しいとも言っていたそうです。
日本の良さを知るために、特に若い子なんかは、外からの視点が必要だと。私は思うんです。
新しい価値観を植えつけようということではなく、ただ目の前にある価値に気づいて欲しいだけなんです。
今、東京では、ビルの屋上で菜園をつくって、野菜を作る取り組みが広がって来ています。
都市の価値観も変わってきているんです。
匝瑳市なら、出来るところがたくさんある。
さらに、自分で育てた野菜や自分で釣った魚を捌いて食べたり、飼っているニワトリが産んだ卵を食べたり、旬のとれたてのものを食べる。
そういうことを最近では、「贅沢」という風に言うようにもなりました。匝瑳市では、その贅沢と言われるようなこと、大抵のことが出来ちゃうんです。
都会の人が憧れる「贅沢ライフ」です。
〜体験が大事〜
それから、私、匝瑳市に来てから、DIYを始めたんですが、何の知識もないど素人だったんです。小屋を作るのにも縦の材と横の材があって、それだけじゃグラつく。どうやったらグラつかないのか?と思って、その辺の小屋を観察したら、頬杖とか筋交があって、あ!ナナメに渡すんだ!と、そこで初めて学んだんですね。
自分で漆喰塗りを経験すると、左官職人がいかに高い技術を持っているのか分かるし、自分で色々やると、町中が学びの場になるんですよね。
匝瑳市には田んぼも畑も広がっていますが、子どもたちにとって、ただの風景になっていないでしょうか?
私もかつて東京から匝瑳に通い、米づくりを通して、自分で作ったものを食べる喜びだけでなく、苦労も経験して、農家って凄いな!って感じました。
売られている農産物の価格って安いんなじゃないか、とも思いました。
日本では、洋服やブランド物には高いお金を使うけど、普段の食べ物には、あまりお金を出さないみたいな価値観があります。
単発的な収穫体験じゃなく、一連の作業を経験すると、成功しても失敗しても、農家への感謝にもつながると思うんですね。
いただいた回答で、市内の学校でさまざまな取り組みをされているのが、分かりました。
サツマイモのツルでクリスマスリースづくりなんて、驚きですね、素晴らしい。
一連の流れを通したお米づくりもとても良いと思います。
ただですね。
まぁ、ここで議論することではないのかもしれませんが、いわゆるエディブルスクールヤードでは、少量他品目のような、いろんな種類の植物、野菜、それに準じて虫などの生物がいる世界なんですね。
そして、多くの野菜は花を咲かせます。
エンドウなどの豆科の薄い紫の花なんて、とても綺麗ですね。大根の花や人参の花も可愛らしい。オクラの花や春菊の花も私は好きなんですが、いろんな野菜が花を咲かせると、花畑のようになって、心が和むんですよね。野菜によっては、花が咲いたら収穫時期としては遅いんですが、それでも無駄ではなく、やがてタネになります。命のバトンです。
農家ですと、効率的に畑を回さなければいけないので、タネ取りする農家なんて、今、ほとんどいないんです。
現在、市内の学校で取り組んでいる活動に、生物多様性の要素や、一年を通した命の循環の要素も加わったら、いいなぁと感じました。
とったタネを来年、1つ下の学年の子が蒔いて、また繋いでいくとかですね。
その辺は取り組む学校の裁量だとは思うんですが。
【質問1】
京都府では、エディブルスクールヤード事業という枠組みを作っていて、外部の人も、「あ、京都府はエディブルスクールヤードやっているんだ」という風に目にすることも出来るんですね。「食育に取り組んでいる」だと言葉として弱く、エディブルスクールヤードの枠組み、出来れば教えていただく方‥ 講師料の補助があったりしたらいいな、と思うんです。
あるいは、エディブルスクールヤードじゃなかったとしても、言葉は分かりませんが、匝瑳市は一貫した食育に取り組んでいる、とか特色ある学びをしているという発信、子どもの楽しんでいる写真1枚でも2枚でも加えて。
そういった発信は難しいんでしょうか?
【回答1】
田植え体験や野菜づくりあるいは地域の伝統行事と連携した取り組みなどの特色ある学びや、子供たちの様子について、多くの学校でホームページにより発信しております。議員からご提案のありました、匝瑳市の特色ある学びの情報発信方法については、今後、調査研究をしてまいります。
〜耕作放棄地問題〜
今後、耕作放棄地が増える
荒廃した雰囲気が広がります。
作物を育て、調理し、食べる一貫した教育を受けていれば、目の前に広がる余った畑や田んぼで、自分で食べる分くらいの野菜やお米をつくってみようかな、と思うハードルが下がる。
もっと気軽にやってみようかなと思うような人が増えると思うんです。
お米づくりは既に取り組んでいる学校がありますけど。
日本は食料自給率が低く、食料安全保障は脆弱です。仮に日本の食料確保が危うくなっても、匝瑳市は農家だけじゃなく、「なんかみんな野菜育てているし、飢える感じがしない、なんか強いんだよね」、みたいな雰囲気があったら良いなと私は思うんです。
そして、
農家が減っていくと、農地と共に農家が管理していた美しい田園風景や里山の風景は、荒れて失われていくでしょう。
野菜を育てる体験を通して、農家が増えてもいいし、農家じゃなくてもいい。
農的な暮らしをする人が増えてくれば、この「働いても働いても豊かになれない、お金も時間もない」日本の疲弊した世の中じゃなく、食料を他に依存しない分、その分だけ自分の好きなことをやるような生き方の選択肢が増えてもいいと思うんですよね。
★環境問題の話★
国連環境計画の報告では、現在、世界には未確認の種も含めると
今現在、地球の生物種の数は、未確認種も含めると、870万種だそうです。
1975年以降、毎年4万種ずつ絶滅している。1日あたり100種類くらい。
原因は人間の経済活動による、乱開発、環境破壊、環境汚染。
その環境破壊に対する世界の現在の目標は、破壊のスピードを「緩めること」であり、破壊そのものを止めるには至っていないのが現状です。
(生物多様性何あるからこそ、地球の循環が健全に回り、人間の生命も保たれているので、生物がいなくなれば、人間の生存も危ぶまれます。
アインシュタインが「ミツバチが消えれば、人類も4年で滅亡する」と言っていたそうです。
私たちの体も100兆個の菌がいて、共存する生命の共同体のようなもの。
環境問題、大きな問題ですが、
私たちの日々の暮らしの消費活動が、実は環境破壊にもつながっているし、環境を守ることにも繋がっています。
いつも私、オーガニック、オーガニックと言っていますが、洋服を作るコットン、綿も、世界で作られるほとんどが遺伝子組み換えの綿で、セットで除草剤が使われる訳なんですが、一大生産地のインドでは、土壌汚染、水質汚染、そしてその除草剤による生産者の健康被害が問題になっています。ですが、体に害になると分かっていても、貧困で、それしか仕事がないからやるしかない。
食や服だけじゃなく、私たちの消費活動がさまざまな問題に繋がっています。
出来ることには限界がありますが、それでもどこでどう作られたのかを想像することから始めなければいけないと思うんです。
環境破壊を止めるには、技術革新も大事ですが、大切なことは、1人1人が、この問題の当事者となることなんです。
何を選ぶかで世界が変わります。
エディブルスクールヤードは、生きるための基本である、食を通じて、そういったことを想像する力が育まれます。
ひどい言葉で、「人間は地球にとって、がん細胞」なんて言葉がありますが、
自然や地球環境を当たり前のように大事にする世代、大事だと思う世代、
暮らすことで環境を悪くするんじゃなく、人間以外の生き物が暮らす環境を調えながら、暮らすことで環境を再生していくような世代、
この流れをひっくり返すようなゲームチェンジャーのような世代を生み出していかなければいけないんじゃないでしょうか?
そして、それが出来るのが、「教育」
エディブルスクールヤードは、教育の現場から、さまざまな社会問題を解決させる要素を持っています。
大きなことを言いましたが、
エディブルスクールヤードの実践校の報告では、給食の生野菜を残す子どもも、菜園の生野菜は何もつけずに食べるなんてこともよくあるそうですし、
自分で作った豆腐は「落としたとしても絶対食べる!」と言う子もいたそうです。
それから学校を休みがちな子もガーデンの授業を楽しみにして登校する。
10年近く前からエディブルスクールヤードを取り入れてきた多摩市の愛和小学校では、一時期、この取り組みが終わりになる危機があったそうです。
ですが、エディブルスクールヤードを体験してきた卒業生や子どもたちが、「こんな素晴らしい授業を後輩たちが体験できないなんて、不公平過ぎる!」と学校に抗議し、教育委員会にも掛け合って、なんとか継続することが決まったそうです。
子どもたちにとって、幸福感に包まれる最高の授業なんだそうです。
匝瑳には、農家じゃなくても、家庭菜園のプロみたいな人もいっぱいいる。
そういった方々がどんどん関われば、多世代交流ができて、学校が生き生きする場になります。
人口は減っても、衰退はしない。
「にぎや過疎」ですね。
エディブルスクールヤードは、
生物多様性、命の循環、環境問題、にぎや過疎、そしてこの地域ならではの特色ある学び。子どものためにもなって、キラリと光る匝瑳市の特色にもなる。
いろんな要素が含まれます。
こういった取り組みは各学校の判断であり、教育長、教育委員会が上から指示するものでないと理解していますが、教育長としてはエディブルスクールヤードについて、どのようにお考えでしょうか?
【回答】
私、体験学習というのは非常に重要視しています。私、校長の時も子どもたちと一緒に田んぼに入って、田植えから稲刈りやってきました。子どもたちの歓声と共に泥んこにまみれた中での思い出というのは一生忘れられない思い出ですが、やはり体験を通して学ぶことの意義というのは、非常に大きいと思いますので、これからも限られた教育課程の中で工夫して実践していってもらいたいな、とそういうような思いでございます。
(この先は制限時間がきたため、議会では発言しておらず↓)
最近、日本の12歳の女の子が、環境問題、ゴミの問題をどうにかしたいと起業したことを知りました。
12歳で起業は凄いことなんですが、私が着目したい大事な要素は「当事者性」です。
生きることの基本、食を通じて、子どもたちが社会の当事者となり、文科省の掲げる「生きる力」、匝瑳市ならではの「生きる力」がもっともっと豊かに育まれることを願って一般質問を終わりに致します。